酵素は細胞内で化学反応を触媒する複雑な生体分子(タンパク質)ですが、最初の酵素が数十億年前にどのように進化したのかは謎となっています。酵素の初期進化に迫るため、東京工業大学 地球生命研究所(ELSI)の研究者は、最も古い酵素ファミリー間の差異と類似性を探りました。本研究成果は、リン酸結合ループ(リン酸と相互作用する酵素の部分構造)がいくつかの最重要酵素ファミリーを生み出したとする故Dan S. Tawfik教授の仮説を支持するものです。

 

図1. 生物中に一般的にみられるリン酸結合ループ(PBL)。PBL(黄色と水色)は補因子、特にリン酸(オレンジ色)に結合している。(Credit: Liam M. Longo et al. Protein Science, 2022より改変)

 

Tawfik教授はタンパク質進化研究の先駆者であり、進化実験の技法開発の中心人物でもありました。2021年5月4日、Tawfik教授はロッククライミング中の事故によりクロアチアで逝去されました。彼を偲び、科学雑誌Protein Scienceは追悼特別号を組み、ELSI特任准教授Liam M. Longo(Tawfik研究室の元学生)に寄稿を依頼しました。生前、Tawfik教授はリン酸結合ループ(phosphate binding loop, 以下PBL)に魅せられていました。この構造は、細菌からヒトにいたるまで地球上のあらゆる生物に存在し、酵素の機能に不可欠なものです。PBLがなければ、私たちの知る生物は存在しえないのです。Tawfik教授を偲ぶには、彼のPBLに関するアイデアを称え、問い直すことが何よりの方法です。Longo特任准教授は、東京工業大学生命理工学院生命理工学系地球生命コース平井颯大学院生(修士課程1年)、ELSIのShawn E. McGlynn准教授とともに本研究を行いました。

 

研究対象とした酵素ファミリーはNat/Ivyと呼ばれるものです。この酵素ファミリーは多様な生物学的プロセスに関与している点で重要です。例えば、細菌は、環境中で競合する細胞を殺すために生成する毒素から自身を守るため、Nat/Ivy酵素を利用します。Nat/Ivy構造の中心にはPBLがあり(図1)、補因子と呼ばれる特殊な代謝物(本研究の場合は補酵素A)と結合しています。Tawfik教授は、図1のような単純な構造をもつPBLがいくつかのタンパク質ファミリーの起源となったかもしれないと主張しました。そして、Nat/IvyのPBLは他のタンパク質のPBLとよく似ていました。

 

著者たちに断言はできないものの、現在のところNat/IvyのPBLと他のPBLは近縁でないことが示唆されています。つまり、共通の祖先をもたないということです。タンパク質進化の分野では、互いによく似た二つの構造が進化的に近縁でない場合、それらの進化過程は収斂(しゅうれん)進化と呼ばれます。収斂進化はPBLの共通の特徴がタンパク質進化の特に優れた出発点となることを示唆します。なぜなら、その特徴が生物中に幾度となく現れるからです。

 

タンパク質進化研究における重要な課題のひとつは、太古の生物に存在した単純な構造が、現在の地球上の生物中にみられる複雑な分子マシンにどのように変化したかを理解することです。特に、最も古いタンパク質がどのようなものであったかは、謎に包まれています。Nat/Ivyの例はTawfik教授の仮説をさらに支持するものです。単純なPBLが、現代のさまざまな酵素の進化にとって重要な出発点となったかもしれないのです(図2)。このようにして、酵素の複雑化が進む生物学的過程をよりよく理解することができるのです。

 

 

 

図2. Tawfik教授の仮説: 原始的なPBLのレパートリーが現代の多くの重要な酵素(例えば、Nat/Ivy、Rossman、P-loop、HUP)を生み出した。(Credit: Liam M. Longo et al. Protein Science, 2022より改変)

 

掲載誌 Protein Science
論文タイトル An Evolutionary History of the CoA-Binding Protein Nat/Ivy
著者 Liam M. Longo1,2, Hayate Hirai1,3, Shawn E. McGlynn1,2, 3,4
所属 1. Earth-Life Science Institute, Tokyo Institute of Technology, Tokyo, Japan
2. Blue Marble Space Institute of Science, Seattle, Washington, USA
3. School of Life Sciences and Technology, Tokyo Institute of Technology, Tokyo, Japan
4. Biofunctional Catalyst Research 82 Team, RIKEN Center for Sustainable Resource Science, Saitama, Japan
DOI 10.1002/pro.4463
出版日 2022年10月3日